最近よく聞くこの言葉は、長い間世間から閉鎖的に成長してきた医学・医療の世界に風を入れる事ができるのか・・・。
先日、大阪高槻市で行われた第42回細胞検査士教育セミナー(平成13年9月1〜2日)でもリスク・マネージメントが取り上げられました。リチャード E. ストランプラー(Richard E. struempler)氏((株)イマ・インターナショナル)の「米国における細胞診訴訟事情と精度保証への取り組み」は、米国の医療の現状も踏まえ、私にとっては大変インパクトのある講演内容でした。
(実はその感想をふと漏らしたので、今回このコラムに投稿する事になりました。)
コラムを書く事を前提にお話を聞いていないので、記憶が定かではなく、ですから講演会報告としては心もとなく、私の印象のままの感想として書かせて頂きます。
講演の中には米国では医療事故の報告がきちんと行われるようになってみると医療事故死亡者数が交通事故死亡者数を超えているそうです。日本では、正確な数が出ていませんが、恐らく同じように超えるのではないでしょうか? そして、事故が起こったときにかかる費用(コスト)より起こらないようにするコストの方が断然安くつくそうです。(費用対効果。いかにも米国的な感じがしました・・・)
また、米国では医療訴訟が多く(米国は訴訟自体多いですが・・・)、直接、細胞検査士が被告になり敗訴する事も少なくないそうです。その原因としてあげておられたのが
- きちんと弁護できる医療専門の弁護士が少ない現状と、
- 陪審員のほとんどは医療知識に疎く、また被害者に同情的であること、
- そして「報道するマスコミにとっては最悪の事故であればあるほどグッドニュースになる」ということなどです。
講師はマスコミの報道の仕方に批判的でしたが、私も同じように思っています。現在の日本の新聞・テレビはとても公器と呼べるような見識があるとは思えません。
これらの話を興味深く聞いていましたが、私が特に印象に残っているのは航空機業界との比較でした。
<航空機産業との比較>
幾度かの大きな事故を礎に危機管理を追求してきた航空機業界と比べると医療業界は30年は遅れているそうです。講師は航空機危機管理システムの特徴として以下の点をあげておられました。
- 記憶に頼らず、チェックリストを用いて職務の改善を図る。
- コックピット内では先輩のパイロットも後輩のパイロットの意見に耳を傾ける。
- 事故が発生しても、名指しで非難したり、責任を負わせるなど個人責任は追及しない。
- パイロットは乗客と一緒に飛行機に乗っている。
<人は間違える生き物である!>
1〜3が言いたい事は、「人は間違える生き物である!」だと思います。ご存知の様に、医療の現場はマンパワーで動いています。高度に発達した日本経済の中で、いまなお人件費率が45%〜55%などという産業はそうそうありません。そう。医療は人の仕事なのです。当然人は間違いを起こします。自分のdnaの複製すら間違えるほどです。
間違えた人に「注意しなさい」といったところであんまり効果はないそうです。
だってわざとじゃないんですから・・・。
殆どの場合、無意識の内に間違っています。勘違いしています。取り違えています。
問題は、「どうしたら、間違いを見つけられるのか?」です。
米国人講師だったので、米国で大活躍しているイチロー選手の野球で例えてみると野球の試合では、ランナー2塁で外野にヒットが打たれると、必ず投手が捕手の後ろに走ります。ランナーがバックホームしてきて本塁に送球されたときに暴投だったり捕手がエラーしたりする事を前提にしています。ヒットを打ったバッターが3塁やホームまでいったりしないように、です。そして、捕手はそれを「自分は大丈夫なのに」と怒ったりはしません。
要は
「誰か絶対ヘマをするやろうけど、誰かがフォローしような!」
「ほんなら、有効なフォローの仕方を考えて練習しとこうや」
「エラーはしゃあない。どんまい!どんまい!」
これがチームワークであり、優れたシステムなんだと考えます。
逆に
エラーした捕手は送球した外野手を責め
外野手はヒットを打たれた投手を責め
投手は「じゃあ、お前が投げろや!」で、グローブ叩き付けて帰ってしまう・・・
「誰が悪いのか?」を追求し糾弾するようになると、きっとみんな、ミスやハット・ヒヤリを報告しなくなります。そうなると誰かが間違いを起こしたときには「自分じゃなかった、ああよかった」になってしまい「どうしたら間違いが発見できるシステムか?」なんてことは考えません。
このような危険なシステムを改善しないことこそが間違いなのです。
<リスクマネージメントの「リスク」は誰のもの?>
「パイロットは乗客と一緒に飛行機に乗っている」という講師の言葉に特に衝撃を覚えました。目から鱗が何枚も剥がれ落ちました。
乗客の安全=自身の安全なのです(リスクを共有している)。
まさに自らの命がけで、機体その他のチェックをしているんですね。医療現場ではどれだけ患者と運命を共有できているでしょう?患者の痛みですら「他人の痛みは3年でも我慢できる」状態です。
医療事故を起こすと訴追されますし、評判も悪くなるでしょう。当事者はクビになるかもしれません。しかし、考えてみて下さい。
リスク・マネージメントの「リスク」とは、まず第一に、患者にとっての「リスク」を考えるべきであって医療機関や医療従事者にとっての「リスク」では無いはずです。
セミナー当日は、法律上の責任の話や訴訟に備えた検査士保険の説明もありました。必要な自己防衛の方法を紹介・斡旋するのはそれはそれで、職能の団体としては、当然かつ必要な事と思っています。ですが、それが充分であっても医療事故にあう人は減りません。
私にとって、今はまだ、保身を考えるよりももっと先にするべき事があると感じています。訴追が怖いから医療事故を減らすのではなく自分だって、病気になれば患者になるのだから、患者もしくはその家族として医療事故を考えていきたいと思います。
今回のセミナーでもいえますが、患者のリスクか医療従事者のリスクかの区別を明確にして議論を進めると、もっと焦点が合ってくるのではないでしょうか。
医療事故をなくすことを最優先する考え方が「リスクマネージメントの心」であると私は信じています。
最後に、余談ながら、参加する前から「英語だったらわからんなぁ」と思っていたところ澄んだ綺麗な声で、一切よどみ無く、実に見事な通訳でした。
(これは、文字では伝わりませんね・・・残念)
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